続・沢川森林鉄道跡探訪記 6/19 (前編) 因幡
今回のブログはあくまで自分自身の備忘録として書きます。
それは長年思い描いていたひとつの夢が叶った記念として、この良き日の思い出をこれからずっと残して置きたいからです。
林道を走るブログを期待している方にとっては退屈なものになるかもしれません。
使われなくなった道、廃道のことを英語ではobsolete roadというそうです。
その廃道を好んで探索する人はオブローダー(ob-roader)と呼ばれるそうなので、廃林道を好む僕はオブ・オフローダーといったところでしょうか?
また一口に廃道と言っても、細分化をすれば道路でも古道、酷道、未成道などがあり、それ以外には廃線や廃隧道(トンネル)があって、それぞれディープなマニアもおられるようです。
林道探索をしていると意外な場所で意外なものを見つけることがよくあります。
例えば今はもう絶対に誰も通らないだろうといった小さな峠の頂上にお地蔵さんがあったり。
それは何を意味しているのか?いろんな想像が湧いてきて、往時の様子を勝手にいろいろ思い描いたりします。
林道内ではそれ以外にも、山奥の斜面に突然古い石垣が現れたりすることも多々あります。
あるいはまるで山城でも存在していたような不自然な空間や、小さな坑道にもたまに出逢います。
でもなんと言っても僕がイチバン心踊るのは、かつて日本中で活躍した森林鉄道の跡です。
今、自分がこうして山で過ごすことが多くなり、山での仕事の大変さも少しだけ理解できるようになると、その先人たちの苦労の程は如何ほどだったのかと思わずにはいられません。
またその反面、山々が活気に溢れ輝いていた頃はどんなだったのだろうかと。
もっとも当時のそうした林業従事者の収入は相当高かったそうで、しばらく山中に篭って仕事に励み、報酬を手にして休暇に下山すると、近くの街で派手に芸者遊びにうつつを抜かしていたそうですから、それも微笑ましいことです。
そもそもこの辺りにしても、地方の小さな街に芸者置屋があっただなんて、今からは想像もつきません。
さて前回はソロで発見の足掛かりを付けた、兵庫と鳥取の県境にある沢川森林鉄道の探索第二弾をいつものメンバーを誘って行ってきました。
煮過大隊長はこのところしばらく事情でご一緒できませんでしたが、今回は久しぶりの参加です。
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ネットで検索をすれば、数人のハイカーさんが麓の諸鹿からは歩いて全容をレポートされていますが、我らがバイブルもバイクでは入ったような画像は全くありません。
前回はこの崩落地点でバイクを置いて、その先は歩いて探索をしました。
今回は久しぶりにバイクに乗れる喜びからか、大隊長自らが先頭を切ります。
行きの下りはそれほど難易度は高くはありません。
このルートはハイカーさんからのレポートを見ても、麓の終点と集落の間は傾斜が急で索道で切った材木を運んでいたそうで、完抜けできるとは99%考えていなかったので、帰りの事もイメージしておかなければなりません。
そうなると、ここを逆に登るためにはこの丸太2本とヌタチュルの路面が難関です。
とりあえずひとつ目の関門はクリアして奥へと進みます。
すると・・・
「あったぁ〜!」
前回は道路の端に退けられたレールしか発見できませんでしたが、こうしたV字の地形の区間だと、そのまましっかりと敷かれたまま残っています。
しかしこのスケールだと貨車の幅は、せいぜい2mも無かったのではないでしょうか。
こちらは数年前に訪れたことのある、この近くの波賀の森林鉄道の画像です。
おそらく同じような機関車や貨車が使われていたことでしょう。
区間によってはV字の底に水が溜まり、イモリたちの楽園となっていました。
平和で過ごしていたであろうに、バイクで荒らしてごめんね。
それを過ぎると道幅の広い区間になってもレールは当時のまま、しっかりと残っています。
ただ長い年月が過ぎたせいか、枕木は風化してしまったようで見当たりません。
レールの間を走っていれば楽ですが、レールを跨がなければならないと、当然ながらひどく滑ります。
目を細めて瞑想すると、時空を超えて機関車が森の奥から現れてくるような気がします。
ふと横を見れば、そこには美しいエメラルドグリーンのトンボが木の葉に止まっていました。
さらに奥へと進んで行くと・・・・
ありました!
この森林鉄道の見どころのひとつである石垣のカーブです。
線路の間には大きな木がしっかりと根を張っています。
バイブルの画像にもありますが、10数年前からほとんど変わってはいないようです。
ここは下が石垣の為か、枕木もしっかりと残っています。
さらに奥に進めば、より急カーブのポイントもあるそうですが、そちらは橋になって下が空間なため、上に乗ることは危険な状態でもあるそうです。
軌道は緩やかにアップダウンを繰り返しながらも麓へと続いています。
ハイカーさんの記事によると作業道と交わったりする箇所もあるそうですが、それはまるで見当たりませんでした。
そこから先は線路上に生えたり、横から覆うように木が伸びているので、バイクで進むのには支障があります。
邪魔になるのは切れば良いという訳でもなく、これからもこの遺構を観に来る人たちのためにも、この状態を荒らしてしまうようなことは慎むべきだと思い、この辺りで撤退することに決めました。
今度はふと足元に目をやれば、そこには観たことのない植物が・・
グーグル先生によれば『ギンリョウソウ=銀竜草:別名ユウレイタケ』というものらしいのですが、さてそれで正解なのでしょうか?
引き返す時もくれぐれも慎重に・・
もしもこれを読んで行ってみようと思っても、最低3人以上のグループでないと危険です。
僕は次回(未定ですが)は麓の集落から歩いて全貌を探ることにします。
その時は必ず熊除けの鈴が要るでしょうね。
途中の広場まで戻ると、明るい日差しがふんだんに降り注いでいました。
かつてはここも切り出した木材を集積していた場所かもしれません。
そこから作業道の支線もあったので探ってみましたが・・
残念ながら、こちらはすぐに行き止まりでした。
でも目的はほぼ達成できて大満足です!
この日はこれが午前の部、さらに午後には全く別のふたつの大きな成果が・・!?
その続きは後編で・・・