村岡高原からの続きです。
釜谷の集落へ下りると香美町小代区(おじろく)に入ります。
小代に初めて訪れたのはほんの7、8年前ですが、もうその魅力には心から惚れ込んでいます。
前回にも書きましたが、ひとことで表現するのならば「日本の原風景」がそこにあるということでしょうか。
もう今年だけでもふた桁に近い回数を重ねるほど繰り返し訪れていますが、何度来ても飽きることはありません。
国道482沿いに流れる矢田川を挟んだ対岸の農道に出て少し走るとこんな標識が。
ちょっと寄り道です。
縄文時代の竪穴式住居や石器などの展示があります。
小代区の中心地からおじろん(温泉施設)の方向に舗装道路をしばらく上ると。
右手に林道稲荷尾線の入り口があります。
ここは先々週行ったあずまや展望台に抜けられるルートですが、やはりかなりのブッシュとの噂。
あきませーん!
全く路面が見えません。
気を取り直しテッパンの仏ノ尾林道に向かおうとすると、
〖小長辿(おながたわ)の大トチ〗が道路から少し入ったところにありました。
樹齢400年の大樹はまさに古代の森の雰囲気を醸し出しています。
日本には八百万の神々があり、自然崇拝の歴史をひしひしと感じます。
なんでもまだ稲作が定着する以前、栃の実は主食の一部だった地域も多いそうですね。
仏ノ尾林道に入ります。
両側からのススキが多くて道幅を狭めていますが、ここはいつ来ても気持ちが良い林道です。
ビッグオフの方にもお勧めですよ〜。
ここや中辻肥前畑林道は有名な瀞川氷ノ山林道に隠れた穴場的存在と言えるのでは。
かく言うワタシもこのところ250ばかりで・・そろそろあちらも・・・。
さて今日のもうひとつのテーマは県道87号線新屋集落(にいや)の奥から熱田集落へ抜けることはできないのか?
またある人のブログによれば、ピストンながらも高丸山から鉢伏山方面に伸びる林道があり、途中景色の良い東屋があるとのことだがどうなのか?
このルートはふたつある〖小代越え〗のうちのひとつで、鉢伏方面から見ると本当に息をのむほど素晴らしい風景です。
実は先月も一度ひそかに探っているのですが再チャレンジです。
とちのき村という施設を過ぎてしばらくすると・・
舗装が途切れて左巻きに林道に入ります。
ここは無名ですが、勝手に「新屋林道」と名付けましょう。
途中キャンプ場の入り口がありますが、それを過ぎると・・
こんな標識があり・・
う〜ん、左手には確かに舗装された登山道はありますががっちりと施錠されています。
左脇から入れないこともありませんが、ここは自制をするべきでしょう。
では熱田集落へ向かう四十曲とのルートを進むも・・
やっぱり無理なのかなぁ・・・
でもこの方向で電線も伸びており、ルート的には間違いなく熱田には向かっているようです。
残念でしたがその代わり今日もぎりぎり撮影成功!見えますか?中央に鹿クンです。
仕方なく国道(酷道)482号線に戻り、鳥取県との県境、若桜方面に向かいます。
このルートはなんと10年以上前の台風被害以来通行止めです。
現在は町道扱いらしいですが、開通すると482号線に格上げとなるそうで、この先がもうひとつの「小代越え」と呼ばれる区間です。
チェーンは張ってありますが施錠はされていません。
しかし鳥取県側はかなりしっかりとしたバリケードがあります。
ちょうどこの前日、高山長さんが鳥取側を視察されています。
出合橋を左に渡り、現在は482号線扱いの登りに入ります。
かなりの勾配でコンクリート主体の舗装の表面はびっしりと苔で覆われています。
途中こんなみごとな大樹がありました。
何の樹でしょう?ご存知の方はぜひ教えてください。
最近SNSでのお知り合いの方々の林道近辺の舗装路面での転倒が多いようですが、かく言うワタシも7月の末に大雨の翌日にやってしまいました!
打撲で済みましたが、いまだに痛みが残っています、トホホ・・。
この道も普通四輪では登るのが難しいくらいのレベルで要注意です。
矢田川源流を眺めたりしながら進むとダートに変わりますが、その距離は僅かです。
そして・・
まず目についたのは小さなお堂?
高台にあったので登って見ると・・・
うわ〜!
なんとも言えない、素晴らしい雰囲気の廃屋です。
建坪は40〜50平米といったところの平屋建てです。
入り口の看板をよーく見ると・・・
「熱田分校」と子供が書いたと思われる文字がかろうじて読めます。
廃校なんですねぇ、いや〜本当に来た甲斐がありました。
帰ってから調べるとこんなページに出会いました。
興味のあるかたはぜひご一読を、面白くもあり切なくもあります。
https://www.nara-edu.ac.jp/PRESS/pdf/book013.pdf
2024年11月現在 以下の二つの記事は閲覧できなくなっています
http://www.nara-edu.ac.jp/PRESS/pdf/book013.pdf
さらに近年と過去の空撮画像をもお借りして貼ります。
この過去の画像・・・信じられません!
こんな僻地にこんなすばらしい情景が広がっていたなんて・・
さぞや美しいことだったでしょう・・
そしてその開墾や維持にはどれほどの労力を費やしたのでしょう。
廃校以外でも2棟廃屋を見つけましたが、あるはずの小さな神社は見つけられませんでした。
それはまた次回の課題です。
そしてこちら側から新屋集落に向かうようなルートもかすかに残っていました。
時間があればバイクを下りて徒歩で調査もいいかななんて思ってしまいます。
あ〜、それにしても今日は林道部分の走行は少なめでしたが、とても有意義な一日でした。
帰路は9号線ではなく県道89号線を使い棚田を眺めてから兎和野で最後の休憩を取り、あとは一気に帰宅しました。
追記:この分校は明治30年に設立され、昭和44年に廃校となったそうです。
その年ワタシはおそらく中1の頃であり、同じ年代の方たちがここで学び暮らしていたとは感無量です。
本日の走行距離 378.3km