林道真空地帯を探る続編・まだまだ続く 6/1
今シーズン、開拓に力を入れている兵庫県豊岡市と、京都府京丹後市の県境エリア。
なかなか手強いですが、あまりあっさりと終わるよりも、それくらいの方がオモシロイ♪
前回はトラブル多発で、時間的に全てを調べるのが難しくなってしまったので、また仲間たちに集まってもらいました。
しかし直前にスケジュールなどの変更もあり、いつもの国産レーサー&トレール組は欠席で、その代わりにベテランM野さんとU田さんが初参加。
つまり僕以外はみんな輸入EDレーサーということで、ただでさえみんなに遅れをとる鈍足な僕がツアーリーダーで大丈夫なのか?
ちょっと不安を抱きつつのスタートとなりました。
前回は朝からどんよりと曇っていて、あの海沿い林道に行くにはちょっとふさわしくはなかったのですが、この日は晴れ間も多く、その先にある海鮮料理の店にも早めに到着したかったので、デポ地から近い尉ケ畑林道を1本流してからはのんびりと舗装路で移動。
30分ほどかけて海沿い林道に到着。
さあ、ここはショートですが、素晴らしい風景をのんびりと楽しんでもらいましょう。
やっぱり青空と太陽が無ければ、この場所の良さは引き立たないでしょうね。
岡山には虫明林道という、小さな半島に伸びるダートがありますが、それに比べると海水の透明度は格段に良く、リアス式海岸の雰囲気も最高です。
普段は走り出したら止まらないヒトタチも・・
ここに来たらまるで別人のよう。
それだけ魅力ある、そして貴重なダートです🎵
そこから少し東に移動すると、また別のグッドポイントがあります。
その場所は三津漁港と間人(たいざ)漁港の間にあるので、好きな人は探してみてください。
ここは本当に磯の波打ち際まで降りていくことができます。
いつも先頭を走ることの多い、テクニシャンK川さんもこの日はのんびり。
いやー、ホントに素晴らしいロケーションです。
水平線に沈む夕陽もきっと綺麗でしょうね。
走ることが飯より好き?な皆さんを、こんなプランで案内しても良いのかと、ちょっと心配していましたが、『たまにはこんなのも良いですね🎵』と言ってもらえて安心しました。
そして柴山や香住の蟹と並んで、味では引けを取らないと言われている『幻の間人ガニ』で有名な間人漁港にある、地産食堂HISAMIに11時ぴったりに到着。
前回はランチ難民になりかけたり、味でハズレを引いたりして懲りたので、今回は地元の友人の勧めに従って、この店を前日から予約をしておきました。
見た目はやや地味目なお刺身盛り合わせですが、店名にちなんだ地元産オンリーのネタはとても美味でした🎵
さあ、午後からは切り替えていきましょう!
ここは下見の時に入り口が気になっていて、帰宅してから衛星画像で全体を確認すると、なかなか面白そうだとアタリを付けた伐採跡地。
ざっと計算すると150万平方メートルくらいありそうなので、よく比較される東京ドームでは30個以上ということになります。(計算合ってますかね?)
走ってみるとぐるりと外周を囲むメインの道と、それ以外にも内側に網の目のように道が無数にあって、謎解きをしながら走るのも楽しい♪
ここは想像していたよりも遥かに価値の高い、そしてやはり非常に珍しいダートでした。
植林した幼木を保護するための害獣避けのネットが、せっかくの景色を楽しむには邪魔なところが多いのですが、よく探せばこんなビューポイントがありました。
アップで見ると久美浜の小天橋とそれに続く約8kmのロングビーチがよく見えます。
ここは天橋立にも近く、とかく間違える人も多いのですが、内海の久美浜湾と外海を隔てる細長い陸地は、実際には一番狭いところでも幅が300m(長さ約1500m)ほどあり、旅館などが立ち並んでいます。
その広大なループのダートを走ってひと汗かいたので、これまた地元で人気の高い、牧場直営の『ミルク工房そら』でひと休み。
いかにもフレッシュさが感じられるソフトクリームは、さっぱりとしていながらもミルクの香りが濃厚で、これまでに食べた中でも指折りです。
本当はもう少しうず高く盛ってあったのですが、我慢できずにうっかりと一口食べた後の画像で失礼しました。
ちょっとお値段高めみたいだけど、自家製チーズを使ったピッツァも食べられるそうなので、いつかそれも味わってみたいな。
さあ、そしてこのグループ本来のスタイルに戻って、いよいよ本日のメインイベント。
ここは昔の但馬の国と丹後の国を繋ぐ古き峠道。
日本地図を最初に完成させた、僕の尊敬するあの伊能忠敬もここを通ったとの言い伝えがある『円城寺峠』の探索です。
つまりこの峠道は少なくとも200年以上前から存在し、当時は重要な役割を背負っていた街道の一区間だったと想像できます。
追記:このブログを書き終えてから、地理院地図から閲覧できる伊能図(伊能忠敬作成の原図)を見ると、確かにこの峠が明記されていました。(当時は円城寺坂峠となっています)
拡大図
この但東や、北の丹後地方は、かつて西陣織を支える縮緬の産地だったので、もしかすると当時はこの峠を越えて京都まで運んでいたのかもしれません。
今回は不参加だったメンバーのひとりであるkoma2さんが命名した『三鋸士』のK川さん、S川さん、T橋さんの倒木や崩落などの、障害物撤去のスキルの高さと迅速性はますます磨きがかかり、あっという間に道を切り開いてくれます。
ほどほどの難易度で確実に前へと進んで行きましたが、思いがけない分岐に出合うと、なんとそこは先日に訪れた別の入り口から山頂に伸びている道ではないですか!
つまり逆Yの字状に道が繋がってしまったことになります。
地図であらためて確認すると、本来進むべき道の分岐をどこかで見落としたことに気づきました。
一旦元に戻ってその分岐を探す前に、初参加のおふたりはまだあの山頂を見たことが無かったので、先に訪れてみることに。
すると・・・・
なんと、ベテランM野さんが崖落ち!!
頂上手前で登頂の喜びを味わってもらおうと、先頭を譲ったことが裏目に出てしまったようです。
実際の原因は、倒木処理してあった太い枝の先端が葉に隠れて見えずに、体に当たってバランスを崩されたようです。
うわ〜、これはちょっと苦労するかなと思っていたサルベージですが、ここでも三鋸士の的確な判断と迅速な処理能力には驚かされるばかりで、あっという間に引き上げ完了!
落ちたM野さんに怪我は無く、バイクも全く問題無かったので、ご本人はとても恐縮されていましたが、僕にとってこれは美味しいブログネタとなりました。
そんなこともありながらも、すぐその先は絶景の山頂です。
山頂というのは案外と木立などで視界が限られている所も多いのですが、ここは海も見渡せる素晴らしい場所です。
こちらの方角の山々は、いつもの僕たちのフィールドですね。
さあ、そしていよいよ古道探索に戻りましたが、同じ道を何度も行ったり来たりしながらも、なぜか見当たりません。
数少ないハイカーさんのブログ記事を読んではいたのですが、この辺りのことはどこにも記述がありませんでした。
かつては地元の小学生が毎年レクリエーションとして登っていたということなので、もう少し明瞭かと思っていたのですが・・
結局、見つけ出した(と思われる)答えは、かつてここに丸太橋が架かっていて、その先へと繋がっていたのだろうということです。
その証拠に沢にはかなり古い石垣が残っており、橋の両側を支えていたと想像できます。
しかし橋が崩れている今、その向こうにバイクで渡るのはかなりの困難。
話し合った結果ここはまた次回、反対側の集落からのルート(途中まで調査済み)で解明を試みてみようということになりました。
またこれは帰ってから判ったことですが、それ以外にもこの近くにはお馴染みの床尾(とこのお)林道がありますが、それに絡めた新しい可能性が浮かび上がってきました。
まだまだ終わりが見えない、このエリアの楽しみは残っていますぞ🎵